親になって初めて理解できた「親心」|子育てで気づいた本当の愛情

子育て

「なんでこんなことで怒るの?」
子どもの頃、親に対してそう思ったことはありませんか?
私はありました。些細なことで叱られ、「なんでそんなに怒るの?」と心の中では思っていたあの頃。

でも、自分が親になってみて初めて分かったんです。
あの時の親の怒りには、ちゃんと理由があったこと。
守りたい、育てたいという、必死な想いだったこと。

この記事では、かつての自分では想像できなかった“親の気持ち”に気づいた瞬間を振り返りながら、今の子育てにもつながるヒントをお伝えします。

きっと、「ああ、うちの親も同じだったのかもしれない」と思えるはずです。

「子どもの頃、理解できなかった親の言動」

■「なんでそんなことで怒るの?」と感じていた過去

小学生の頃、友達の家で遊びすぎて、帰るのが20時頃になったことがありました。
家に帰ると、玄関の鍵が閉まっていて、ピンポンを押してもなかなか開けてくれない。

「うわ、怒ってる……」と思いながらも、私は心の中でこう思っていました。
「ちゃんと帰ってきたんだから、そんなに怒らなくてもいいじゃん」

今振り返ると、確かに約束を破った自分が悪かった。
でも、当時の私は、「帰ってきたんだからもういいでしょ」という感覚しか持っていなかったのです。

■親の行動が“理不尽”に見えた理由

子どもだった私は、「なぜそんなに厳しいのか?」が理解できませんでした。
何度も約束を破ったならまだしも、初めて遅くなったその日、いきなり家に入れてもらえない。

「一発アウトは理不尽すぎる!」
子供ながらにそう思っていました。
そんな“理不尽さ”の象徴が、親の態度にも見えていたのかもしれません。

■当時の自分の視点と、親の本当の想いのギャップ

あの時の親の怒り。
それはただの感情的な怒りではなく、「しつけ」や「教育」の一環だった。
今、自分が親になって初めて、そんな風に思えるようになりました。

きっと親は、「ルールを守ることの大切さ」を伝えたかったんだと思います。
それは、社会に出たとき、ちゃんと通用する人になってほしいという願い。
甘やかすのは簡単だけど、子どもの未来を考えるからこそ、あえて厳しくする。

子どもだからこそ、ちゃんと育てたい。
かわいいからこそ、立派にしてあげたい。
――そんな親なりの“愛情”だったのだと思います。


親になって気づいた、愛情のカタチ

子どもが成長し、少しずつ意思疎通ができるようになってきた今。
我が家でも、「保育園に行きたくない」「お風呂に入りたくない」「まだ遊びたい」と主張する場面が増えてきました。

そんなとき、私はつい感情的になってしまいます。
「なんで言うこと聞いてくれないの?」「もう時間だから終わり!」
強い口調で叱ってしまい、あとから自己嫌悪に陥ることもあります。

でも、本当は怒りたくて怒っているわけじゃない。
「きちんと習慣を身につけてほしい」
「生活リズムを守って、健やかに育ってほしい」
そんな親としての願いがあるからこその言葉なんですよね。

ふと、そんな自分に気づいた瞬間に思ったんです。
「もしかして、あの時の親も、こんな気持ちだったのかもしれない」と。


感情的になるのは、愛情があるからこそ。
優しくするだけが愛ではなく、
ときには厳しさも必要なのだと、親になってから強く感じるようになりました。

もちろん、自分の中にあるイライラが混ざってしまうこともあります。
でも、それでもやっぱり、「子どものために、心を鬼にする」。
それは、親にしかできない大切な役割なのかもしれません。


おもちゃ屋さんで、買ってほしいと地団駄を踏んで駄々をこねる子ども。
それを拒んでいる親の姿を見かけることがあります。
昔の自分なら、「かわいそうだな」と思っていたかもしれません。
でも今ならわかります。

それは、「我慢すること」を子どもに教えるための愛情なんだと。
親の愛情は、時に“厳しさ”という姿をしている。
そのことを、今になってようやく理解できるようになりました。


気づけば、親と同じことをしていた

■無意識に親の口癖や行動をなぞっている自分

「いい加減にしなさい!」
子どもの頃、親によく言われていたセリフです。
当時は「うるさいなぁ」と思っていたのに、今では自分が同じ言葉を子どもに言っていることに気づき、思わず苦笑いしてしまいます。

意識していなくても、ふとした瞬間に出る言葉や行動に、親の影響って本当に大きいんだなと実感しています。


■「やっぱり親ってすごかった」と感じたエピソード

思い返してみると、私は親に手をあげられた記憶がありません。
どんなにイライラしていたとしても、どんなに私が悪いことをしても、手を出すことはなかった。
今になって、その「我慢」がどれほどすごいことだったのか、理解できます。

自分が親になって、子どもが思い通りに動かない時
例えば、保育園に行きたがらない子どもを無理やり抱っこして、抵抗されて、引っ掻かれて…
イライラがたまって、つい「パチン」と軽く叩いてしまう。

そんな時、ふと頭をよぎるのは、叩かずに向き合ってくれていた親の姿
「親って、本当にすごかったんだな」と、心から思う瞬間です。


■受け継がれる子育て観・価値観の不思議

気づけば、口調も怒り方も、どこか自分の親と似てきたように思います。
もちろん、子育てのスタイルは家庭によって違うし、時代によっても変わります。
でも、「子どもにまっすぐ育ってほしい」という思いは、きっとどの親も同じ。
だからこそ、親から受け取ったものは、自分の中に自然と染みついて、今の子育てに生きている気がします。

「子どもを育てるって、親から受け継いだ愛情の形を、もう一度次の世代へと手渡していくことなのかもしれない」
そんな風に感じるようになりました。


親の気持ちを知った今、子どもにどう向き合うか

■子どもに「伝わる」叱り方・愛し方とは

正直、子どもの頃は「そんなに怒らなくてもいいのに」と思うことが何度もありました。
でも今になって思うのは、それは親の“怒っている理由”が理解できていなかったからなんです。

だからといって、子どもに親の気持ちを理解しろというつもりはありません。
子どもはまだ未熟で、気持ちの整理も言葉の整理も苦手です。
だからこそ、大人である私たちが一度深呼吸をして、頭ごなしに怒る前に、子どもの気持ちに寄り添ってみることが大事なんだと思います。

まずは子どもの言葉をしっかり聞いて、
「なぜそうしたのか」を一緒に考えてあげる。
そして、「こうすればもっとよかったね」と一緒に解決の方向に導いてあげる。
それこそが、叱ることではなく“伝えること”につながるのではないかと感じています。


■子育ては“反面教師”にも“道しるべ”にもなる

もちろん、自分の親が完璧だったとは思っていません。
「あれはちょっと厳しすぎたな」「もう少し話を聞いてほしかったな」と思う場面もありました。

でも、そんな経験こそが今の自分の子育ての“道しるべ”になっています。
あのとき感じた「こうされたら嫌だったな」という思いを、
今、自分の子どもには繰り返さないようにしよう。
そうやって親として少しずつ成長していける気がしています。

逆に、当時の親の言動の中には、今思えば「見習いたい」と思う部分もたくさんあります。
あの時は理解できなかったけれど、今ではちゃんと伝わっている。
そんな風に、子育ては「反面教師」にもなり、「道しるべ」にもなるものだと思うのです。


最後に|親の気持ちに気づいた時、親子の絆はもっと深まる

■いまさらでも、親に「ありがとう」を伝えたくなった

子育てって、本当に大変なことです。
それは、自分が実際に親になってみて初めてわかったことです。

子どもの頃は、「勝手に大きくなり、勝手に成長していく」と思っていました。
でも実際は、毎日の積み重ねの中で、
親がそばにいて、正しい方向へ導いてくれていたんですよね。

時には叱り、時には見守り、時には心を鬼にして。
そんな風に育ててくれた親に、今さらだけど「ありがとう」と伝えたくなる瞬間があります。

■親との関係が変わった瞬間

今でも、親からすれば私は“子ども”のままなのかもしれません。
でも、私に子どもが生まれてから、親との関係が少しずつ変わった気がします。

「共働きで大変だよね」
そんな風に、育児の悩みを相談し合えるようになった今、
どこか対等な立場で向き合ってくれているように感じることが増えました。

親と子だった関係が、今では“親同士”としての会話になっている。
それがとても嬉しく、少し照れくさくもあります。


■これからも、自分なりの“親心”を育てていきたい

私は私なりの子育て観を持っています。
それは、時代や環境に合わせて変わっていくものかもしれないけれど、
根本にあるのはただひとつ
「子どもには、しっかりと立派に育ってほしい」という願いです。

親として未熟な私には、時に妻が、そして自分の親がアドバイスをくれることもあります。
そうやって、少しずつ失敗もしながら、迷いながら、
自分なりの“親心”を育てていきたいと思っています。

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