- はじめに|出産は家族で迎えるはずだった
出産予定日が近づくにつれ、妻と一緒に楽しみにしていたのが「立ち会い出産」でした。
健診は毎回できる限り付き添い、エコーで見る我が子の顔が、癒しでした。
「出産のころにはコロナの規制も少しは緩んでくれるといいね」と、夫婦で前向きに話していたのを覚えています。
でも、現実は甘くありませんでした。
最後の健診は、たまたま仕事の都合で妻ひとりで向かうことに。
そのとき突然、妻からの電話が――。
「破水してたみたいで、今から入院することになった」
想像もしないタイミングで、急に出産が現実として目の前に現れました。
しかも、コロナ対策のため面会も立ち会いも禁止。
妻と生まれてくる我が子は、退院する日まで会えないという現実が突きつけられたのです。

2.面会もできない僕にできたのは、励ましのLINEだけだった
突然の「お別れ」に、ただ戸惑うしかありませんでした。
妻から「破水した」と連絡をもらったとき、正直ピンと来なかったのが本音です。
ドラマのように水が一気に流れ出るイメージが強く、「本当に破水してるの?」と思ったほどでした。
でも病院の判断は即入院。そして、そこから面会も一切できなくなりました。
破水と聞くとすぐに生まれるものだと思っていたのに、なかなか陣痛が来ない。
結局、4日ほどそのまま待機という形になり、妻は一人きりで不安と戦っていました。
僕にできたことといえば、スマホ越しに励ましのLINEを送ることだけ。
「がんばれ」「もう少しだよ」と送るたびに、何もできない自分に悔しさもありました。
男って本当に出産に対して無力だと痛感しました。
コロナ禍でなければ、毎日病院に足を運んで顔を見せてあげることだってできたのに。
妻の精神的負担は相当だったと思います。
身体の痛みだけじゃない、孤独や不安にも耐えていたその姿に、心から「ありがとう」と伝えたい気持ちでした。
3. 本陣痛の知らせは夜勤中に|祈るしかできなかった長い夜
夜勤中の静かな職場。
時計が3時を回ったころ、スマホにLINEの通知が届きました。
妻からの一言――「本陣痛が来た!」
一気に目が覚め、心臓がバクバクと高鳴りました。
ついにこの時が来た。でも、そこに僕の“居場所”はない。
本来であれば、仕事を早退して病院へ駆けつけたい。
でも、コロナ禍ではそれも叶わない。
たとえ病院に行ったとしても、ロビーにすら入れてもらえないという現実。
焦る気持ちと、何もできないもどかしさ。
仕事を続けなければいけないのに、頭の中は妻とお腹の子のことでいっぱいでした。
合間を見てはスマホを覗き、妻にLINEを送る。
「大丈夫?」「頑張ってるね」――そんな励まししかできない自分が情けなくもありました。
返信がすぐにこないと不安になり、
短くても返事があると、少しだけ安心する。
そんな感情を何度も繰り返しながら、ただ祈ることしかできない夜を過ごしました。
朝8時、夜勤が終わったころに届いた連絡では、子宮口はまだ4センチ。
促進剤を使うとの判断がなされ、不安はさらに募っていきました。
本来なら眠いはずの夜勤明け。
でも、目はまったく冴えたままで、お昼を過ぎてもソワソワして落ち着きませんでした。
そして16時ごろ。
突然スマホが鳴り、妻からの電話が――。
電話はカメラに繋がっていて、生まれたばかりの我が子の姿を見せてくれました。
直接立ち会えなかった僕への、妻の優しい気遣いでした。
「本当にありがとう。よく頑張ったね」
そう伝えるのが精一杯で、
そのカメラ越しに見た小さな命に、涙が止まりませんでした。
通話はたった40秒ほど。
でも、あの40秒は、僕の人生でいちばん濃密な時間でした。
今でも、あの瞬間の感情やカメラ越しに見た我が子の顔は、鮮明に覚えています。
その日は、妻から生まれたばかりの我が子の写真がたくさん届き、
それを何度も眺めながら、ようやく安心して眠りにつくことができました。
人生でいちばん、幸せな一日だったと思います。
4. 会えないまま始まった父親生活|退院の日だけを心待ちに
子どもは無事に誕生しました。
でも、その姿を見たのはカメラ越しのほんの一瞬。
父親になったという実感は、正直まだありませんでした。
日常は変わらず続き、僕はいつもと同じような生活を送っていました。
そんな中で、父親として最初の“仕事”は、役所での出生届の提出。
役場の職員さんが全員立ち上がり「おめでとうございます。」と言いてくれました。
後から妻に出産の様子を聞いて驚きました。
出血が多く、尾てい骨を骨折するほどの壮絶な出産だったこと。
あの小さな命が、命がけでこの世に生まれてきたんだと、胸が締めつけられる思いでした。
退院までの数日間、妻は毎日子どもの写真を送ってくれました。
「ここ、パパに似てるね」「この目元はママかな?」
そんなふうにやりとりをしながら、ようやく少しずつ家族になっていく実感が湧いてきたのを覚えています。
そして迎えた退院の日。
朝から病院に迎えに行き、2週間ぶりに妻と、初めて我が子と対面しました。
眠っている赤ちゃんを、起こさないようにそっと抱っこしたとき、
あまりの小ささに驚き、そして涙が出そうになるほど感動しました。
その瞬間、「ああ、本当に父親になったんだ」と実感したのです。
そこから僕の父親としての人生がスタートしました。
家に戻ってからしばらくは、ただただ妻と子どもを眺めながら過ごす時間。
ミルクの作り方も、おむつ替えも、抱っこの仕方もすべてが初めて。
戸惑いと不安の連続だったけれど、
今振り返ると、すべてがかけがえのない思い出です。
5. ようこそ、我が子よ|これが僕の父親としての第一歩
正直、父親になる自信なんてありませんでした。
人の親になる責任なんて、自分にはまだ重すぎると思っていたんです。
でも、子どもが誕生した瞬間、そんな思いは一変しました。
自分のことより、まず子どもを優先する生活。
慣れない育児に戸惑いながらも、毎日が新鮮で、愛おしくて。
大変なことは山ほどあるけれど、それ以上に得られるものが多くて驚いています。
子どもの存在が、僕の日常をガラリと変えてくれました。
仕事にもより一層やりがいを感じるようになり、
何気ない毎日が、かけがえのないものに変わっていきました。
我が子がこの家に生まれてきてくれたことに、心から感謝しています。
そして、子どものおかげで自分自身も、少しずつ“人間として”成長できていると感じます。
これから続く長い子育ての道のり。
楽なことばかりではないけれど、この道を楽しみながら歩いていきたいと思っています。
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